「6・19福岡大空襲」フィールドワーク

10月11日に行ったフィールドワークには6団体(新日本婦人の会、引揚港・博多を考えるつどい、福岡市原水協、福岡女性団体交流会、平和サークル9Peace、民青同盟福岡県委員会)と個人、あわせて27名が参加しました。

冷泉公園に集合し、福岡大空襲の戦跡のうち4か所をめぐりました。元福岡市総合図書館で郷土史を担当していた首藤卓茂さんが案内してくれました。終了後は、博多小学校で感想交流もしました。

①冷泉公園慰霊塔

何時ごろ、上空にB29が現れ、どのあたりにどのような焼夷弾が落とされたか詳しく聞きました。慰霊碑は左から右に物語が流れており、空襲と引揚の両方を描いたものとされているそうです。

②十五銀行福岡支店(博多座)

ここだけなく、近隣の他の銀行も避難場所に指定されていたとのことです。灯り取りの窓の格子を壊して逃げた人もいたそうですが、結局、63人が犠牲になった場所です。

③正定寺(しょうじょうじ)

本堂の欄干の下に突き刺さったままの焼夷弾と黒く焼けたお座敷の鴨居を見せていただきました。「焼夷弾は油なので水をかけても消えないので、家じゅうにある布団や座布団に水を含ませ、それをかぶせてなんとか消し止めました。空襲の数か月前に過去帳を東区のお寺に疎開させていたので、うちには昔からの過去帳がありますがこの辺のお寺は全部焼けて過去帳がないところが多いんですよ」とご住職がお話してくれました。

④博多小学校

地下一階にある平和祈念室を見学しました。奈良屋国民学校(のちの奈良屋小)のかろうじて焼け残った校舎の一部を祈念室として使用しています。焼け焦げた入り口に、室内には小型焼夷弾、防空頭巾、千人針、大空襲直後や終戦後に撮影された写真の他、引揚船が浮かぶ博多港の写真もありました。

【感想】11月に自分たちの団体で、福岡大空襲のフィールドワークをしたいと考えている。あらためてまわってみて、福岡市内、自分たちの身近なところでも戦争や平和について考えることがで

きる戦跡があることを実感した。(20代・男性)/首藤さんの「当時の情景の再現を試みる」お話は、福岡大空襲の全体像をつかむことができ、わかりやすかった。十五銀行でたくさん人が亡くなったと初めて聞いたのは子どもの頃だったが、大変衝撃を受けたことを今でも覚えている。博多座に碑をつくってほしいと要望しても市は拒否していると聞いたことがある。碑もつくらせたいし、資料館もつくらせたいと強く思った。(40代・女性)/慰霊碑のある冷泉公園の前には冷泉小の跡地がある。まだこの土地は使い方が決まっていない。ここに資料館が建てられるといいなと思う。(60代・男性)

24日(土)14時~第3回実行委員会@市議会棟7階第1・2応接室 ぜひご参加ください! 

福岡市に平和資料館の設置を求める会

福岡大空襲の被害を受け、わが国最大の引揚港・博多があり、広島・長崎についで被爆者が多い都市・福岡市に平和資料館を設置するため活動します。

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