学習会「被爆の実相に学ぶ」
3月27日、福岡市原爆被害者の会・岡崎満也さんを招いて学習会を開催しました。当初1月に計画していましたが、コロナ感染拡大により延期となっていました。
岡崎さんのお話-----
長崎原爆で10歳の時被爆、爆心地から4キロの大浦地区にいた。空襲警報で長崎かいせい中学校の防空壕に逃れた。そこから出て橋の欄干にさしかかったとき、フラッシュをたいたように白くなった。弟は足にけが、母の背中にはガラスが無数に刺さった。ガラスを抜いて、油やアロエを塗るのみ。父は仕事に行っており、祖父は自宅に残った。母、3歳の妹6歳の弟と長崎市内を通り抜け、親戚宅に行った。途中見た風景は地獄だった。折り重なり人間のダムのようになった浦上川、水を求める人たち。母は「戦争はいやだ」と叫んだ。「母が非国民になってしまった」と戸惑って周りを見回した。妹は6ヶ月後になくなった。今でも災害の絵を見るとつらい。こんな話をするのはいやだったが、阪神淡路大震災を見て、話伝える必要を感じて、証言するようになった。
核兵器禁止条約発効はうれしいが、日本が批准しないことについては、被爆者が世界に認められ、日本政府に見捨てられたような気がする。
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